「しかし、ここで言っているのは学校の国語教育の問題だけでは無く、こういうことも言っている」
若者が「本を読まない」最大の理由の一つは、社会があまりにも視覚化、デジタル化されたことにあると私は考えています。
「ふーん。デジタルデータで勝負している君としては怒ったのかい?」
「いやいや。この問題は実はおいらが言っている『過剰に分かりやすいことの害』の裏返しの表現ではないかと気付いたんだよ」
「『過剰に分かりやすいことの害』ってなんだい?」
「取りあえず擬人化すると、それを見て分かった気になってしまう。とりあえずネットを検索すると回答らしきものがすぐ見つかって分かった気になってしまう。WikiPediaを見ると百科事典っぽいことが書いてあって分かった気になってしまう。実際にはマニアの垂れ流し的な情報も多いが、それを百科事典的な情報だと理解して受け入れてしまう」
「分かった。どんなに分かりにくい概念でも、取りあえず女の子に擬人化しておくと分かった気になれるわけだね」
「見たら分かる視覚の問題に還元されるからね」
「でも実際には何も分かってないわけだね?」
「そうだ。何も分かっていない。それにも関わらず本人は分かった気になって、それ以上学ぼうとしない」
「ひ~」
「ネットの問題も同じで、検索すると答えらしいものがすぐ出てくるが、答えらしいものが真の答えとは限らない。ところが、みんな同じ方法を使うので、『みんなが同じことを言っているのだから真実に違いない』と思い込んでそれ以上は勉強しない」
「ひ~ひ~」
「今の段階は、まだ人がデジタル機器を使っている段階にはほど遠い。まだデジタル機器に使われている段階だよ。そんな人としての主体性を放棄してどうすると思うが、結局デジタル機器のパワーに翻弄されている人ばかりだ」
「やっぱり、それじゃダメだよね」
「まさにダメな時代だよ、今は」
「夢の21世紀じゃないの?」
「現実には泥沼の21世紀だな」
オマケ §
「君にはどんな経験があるんだい?」
「妹の息子の幼い男の子(就学前)を両国の江戸東京博物館に連れて行ったことがあるよ。あの空中に浮かぶ巨大な建物は見たらビックリするから」
「それで結果は?」
「携帯ゲームの画面に夢中になって目を離そうとしなかった。目の前にインパクトが大きな建物があると言うのに、ぜんぜん見なかったよ。母親が見なさい見なさいと言って目を向けさせるのだが、すぐに目がゲームの画面に戻って行ったよ。ぜんぜん見てなかった」
「ひ~」
「長いエスカレーターに乗って、始めて自分のいる場所に気付き始めたような状況だった」